いなご

 或る日。
 一片の雲さえなく晴れていた空の遠い西の方に、黒い綿を浮かべたようなものが漂って来た。やがて、疾風雲のように見る見るうちにそれが全天に拡がって来たかと思うと、
「いなごだ。いなごだ」
 百姓は騒ぎ始めた。
 いなごの襲来と伝わると、百姓は茫然、泣き悲しんで、鋤鍬も投げて、土蜂の巣みたいな土小屋へ逃げこみ、
「ああ。しかたがない」
 絶望と諦めの呻きを、おののきながら漏らしているだけだった。
 いなごの大群は、蒙古風の黄いろい砂粒よりたくさん飛んで来た。天をおおういちめんの雲かとも紛う妖虫の影に、白日もたちまち晦くなった。
 地上を見れば、地上もいなごの洪水であった。たちまち稲の穂を蝕い尽してしまい、蝕う一粒の稲もなくなると、妖虫の狂風は、次々と、他の地方へ移動してゆく。
 後からくるいなごは、喰う稲がない。遂には、餓殍と餓殍が噛みあって何万何億か知れない虫の空骸が、一物の青い穂もない地上を悽惨に敷きつめている。